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阪急電車 Feed

2015年10月13日 (火)

今年の日本シリーズは何処と何処になるのでしょうね?(阪急電車の日本シリーズ看板)

 気が付けは10月も上旬となり、相変わらず更新はのんびりペースですが、或る模型の製作に重点を置いているのでそうなってしまいます~。

 さて、私の地元阪神タイガースも辛うじてクライマックスシリーズにエントリーされるも、敗退し今年のセ・リーグ優勝争いは関西人には関係のない話となってしまったようですね。以前にも書きましたが私は野球は全然詳しく無いので、墓穴を掘る前に話題を転換したいと思います。(笑)

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063076 その日本シリーズですが、かつてはクライマックスシリーズなんてのはありませんでした。画像は地上時代の山陽板宿駅で、「日本シリーズ」の看板を付けて走っていた阪急7000系、7001~です。確かまだ中学生の時で、取り敢えず撮った?状態のアングルなので恐らくこの日本シリーズマーク目当てで撮ったのでしょう。阪急ブレーブスも懐かしい響きですね。

063077  同じネガには山陽3062~もありました。これも「秋まつり」のマーク付きです。阪急にしても山陽にしても昔からわりと「ヘッドマーク」は付ける機会が多いですね。この山陽の離合車は阪神R車ですが、もう少し東側で撮れば両車の顔並びが撮れたのですが残念でした。(笑)その阪神はどちらかと言えば、この頃はヘッドマークを付ける機会が減っていたように思います。(勿論タイガースの成績次第ではそんなことも無かったのでしょうが)

画像は3枚とも'84年10月10日撮影。

 今回もお手軽記事ですが、やっぱり3社共この頃のカラーが私は好きですね。先般発売されたマイクロエースの山陽3050系も密かに旧塗装化を考えていたりします…。(でも高いから簡単に分解して再塗装…、も一寸勇気が要りますね:笑)

 ではまた~。

2015年2月 4日 (水)

あれから20年…。その3(鉄道代替バス:阪急電鉄編)

 今回は阪急電鉄編です。やはり系列の阪急バス、阪急観光、大阪空港交通等が活躍していました。代替輸送初期の頃はあまり撮影しておらす、比較的落ち着いた頃の「西宮北口-阪急御影」代替バスの写真が殆どですが、以下ご覧下さい。

5313938  こちらは三宮代替バスのりば。テントの「阪急ブレーブ(ス)」の文字が目立ちます。まだ持っていたのですね。停まっている車は阪急観光バス87-2123(’87年式、P-MS725S)です。’93年に神戸ナンバーに変更されています。

4353940  こちらはJRバスと併走する阪急バス84-1920(’84年式、P-MS725S)です。当時の本来の用途は芦屋学院の送迎用車だったと思います。元は大阪ナンバーです。

6143939  国道の臨時専用レーンを三宮へ向かう、大阪空港交通のエアロ。趣味対象エリア外だった大阪ナンバーのため、年式・型式不詳ですが、P-MS726S辺りでしょうか?方向幕は普段見る機会の少ない空港交通が表示されていました。

7169941  三宮を西宮方面へ向かう、阪急代替の日本交通。P-MS725Sでしょう。

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0337937 こちらは西宮北口側のりば。どちらも’95年6月撮影。下はのりばに近接して設置されていたバス駐機場。この頃はご覧のように53MCのオンパレードに近い状態でした。但し、少ないながらも58MCも投入されていいました。

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4727936  …というように当時最古参グループとなっていた’82年式や’83年式で収容力のある長尺車が大量に活躍しており、殆どは大阪ナンバーのままでした。ゆえに型式は調べていませんが、この当時の阪急バスの長尺標準であるK-MP118Nでしょうか。方向幕が過渡期なのか、白地と黒地の両方が見られますね。上から82-1775、82-1764、82-1805、83-1811です。

 

4215942  最後は同じく’82年式のMP、82-1748です。こちらは代替バスではなく、代替事務所のようでした。神戸・新開地交差点から南へ下る道路沿いの公園が一時期避難場所となっており、何故かそこに鎮座。方向幕窓に「被災者センター」というような文字が書かれた紙が貼られていました。中は色々な生活用具などが満載、ここにおられた方々の暮らしを支えていたようです。この車、結構長い間ここに鎮座していましたが、いつの間にか消えていました。その後バスとして復活したのかそのまま廃車になったのか微妙な年式でした。

 次回は阪神電車を予定しています。

2015年1月17日 (土)

あれから20年…。その1(鉄道関連編)

 毎年この時期は震災関連のニュースが話題になりますが、あの阪神・淡路大震災から早や20年が経とうとしています。当時、私の居住地域は幸い大きな被害もなかったのですが、廻りには大変な思いをされた親戚・知人・友人が何人もおられますので、私が震災体験を語るのは正直気が引けるのですが、当日は以下のような出来事でした…。

 …揺れが収まって少し明るくなってから、周囲の焦げ臭い臭いや街の方で見えるいくつもの黒い煙や飛んでくる灰で大変なことが起こっている!と感じ、市街地に住む友人へ電話をしましたが全然繋がらない…。心配になってそのまま所在を確かめに行きました。勿論電車も止まっていたので、車で…でしたが既に停電により信号機も消えており、あちこちの交叉点は凄い状態で諦めて引き返し、原付バイクで赴きました。目指す家までの間に見た光景は…いつも知っている家々やお店が潰れ、燃えて…と言う状況で、まともに視界に入りませんでした。

兎に角何とか辿り着いたモノの、友人宅は全壊で人の気はありませんでした。周囲を探し回って、近所の公園に避難していた処を見つけ、無事を確認してから、一旦自宅に戻りましたが電気が開通してからのテレビ映像を見て愕然としました。あちらこちらの凄まじい映像の中から、勤務先の施設が壊滅状態で映っており、「会社潰れた…。この先どうなる…?」と思ったのは私だけでは無かったと思います。

 当然、先ずは生きるための生活、仕事が最優先で、趣味なんぞやっているヒマも無く、それよりも気が滅入って、趣味関係は暫く何も手つかずでした。しかし、少しずつですが、やっぱり何か残しておかなければ…と思い始め、いつもの倍以上掛かる通勤時間の途中や身辺が比較的落ち着いた頃からカメラで撮影をしはじめました。

 今回はその中から鉄道関連の写真です。上記のような状態から「取り敢えずいつもと異なる行先を撮っておいた」的カットが殆どと言うのと、各社の動き詳細も記録できぬまま今に至る訳でその辺りを詳しくお知りになりたい方は、関連書籍、または当時の鉄道雑誌をお探し頂ければ…と思います。更に撮影日詳細のメモも殆ど取っておらず、「記録」と言う割にはお粗末な出来です。また通勤経路の関係上、対象が限られておりますがその点お含み頂ければ幸いです。尚、当時、基本的に被災物件は撮影しておりませんが、背後に写っている場合もありますので、ご了承下さい。

◇JR(神戸線)

 六甲道駅が大きく被災しこの辺りもかなりの被害が出て、近くの親戚宅も全壊しました。暫くしてからの運行形態は西からは「灘」、東からは「住吉」で折り返していました。当時JRで東方面へは全く足を伸ばしていませんので、西方の様子しか撮影していませんのでご了承を。

Jr891  鷹取駅入駅中の201系普通神戸行き。この駅は上りは操車場を挟んで一番山側に仮ホームが設置されていました。操車場にはバラの電車や貨車などが取り敢えず線路上に並べられていた感じでした。JRは通勤ではあまり利用していませんので、あとは別に赴いた以下のカットくらいです。以下の撮影はいずれも’95年3月、須磨~塩屋間にて。

Jr887  207系灘行き普通。先頭はクモハ207-1004。

Jr888 201系12連による下り快速。この当時、上りはこの編成を普通として運用、折り返しは一部ホーム長の関係で快速運用としていたそうです。

Jr889  113系による灘行き快速。当然この当時はこの系列も沢山走っていました。大目玉が懐かしいです。先頭はクハ111-5138。

Jr890  また快速では115系も一部混じっていました。私の行動範囲では115系はお目に掛かれないので、この頃115系は珍しく映ったモノです。先頭はクハ115-6113。

この後、4月中には一足早くJRが開通、私鉄利用者を一挙に…という事象になりました。

◇阪急(神戸本線)

 こちらも西宮北口以西に被害が集中し、西方からは当初御影(みかげ)までだったと思います。また三宮付近で取り残された車両が地上に降ろされた様子も偶然撮影出来ました。

Hankyu879  行先表示は折り返し表示ながら、実際の運転区間のものを作製し、表示していました。

Hankyu880  こちらは夙川(しゅくがわ)行き。既に全線開通予定日のヘッドマーク付き。この辺りのPRは阪急らしいと感じます。8001号編成で’95年6月撮影。

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Hankyu878  こちらが通りがかりに遭遇した、車両回送準備作業。兎に角白昼に電車が道路上に佇む姿には驚きました。

◇阪神(本線)

 阪神間で一番被害が大きかったと思われる阪神。阪神は西側は当初岩屋、後に西灘仮駅まで。東側は当初青木(おおぎ)、後に御影までとなりましたが、西灘~御影間の崩壊が激しく、工期が掛かった模様です。また全線開通も一番遅く、6月下旬となりました。

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Hanshin883  西側は取り残された2編成の青胴と山陽電車が担当していました。また行先方向幕も「岩屋」「西灘」は無いため、わざわざ非方向幕車用の差し替え式行先看板を新調しています。東側でも「青木」は無いため、方向幕は「御影」を表示し、紙で「青木」を補足、後に簡易看板(円板)シール式で「梅田-青木」と表示していました。

Hanshin884  西側は全線開通の数日前、赤胴に変わりました。これは線路が開通、試運転が可能になって以後、今までの青胴を整備するために交換されたモノです。よって方向幕は「普通」で青胴が使用していた差し替え式行先表示看板を使用しています。因みに神戸高速線は大開駅が崩壊していたため、山陽方面からは西代まで、東からは新開地まででした。

Hanshin881  阪神でも石屋川車庫で被災した車両を運び出し、白昼道路上に電車を留置しておりました。実際の運搬は昼間だったのか、深夜だったのかは阪急も含めて私は知り得ていません。

◇山陽(本線)

 山陽線は当初神戸市側に被害が集中し、徐々に延伸復旧しましたが、板宿(いたやど)-西代(にしだい)間は地下工事中だった同区間の工事完成により6月中に開通となりました。しかし神戸高速線を介しての乗り入れは前述通りその先の大開駅復旧を待たねばなりませんでした。

Sanyo892

Sanyo893  どちらも西代行きを表示した普通車。上の初代アルミカーは今も現役ですが、下の2300系は既に過去の車両になってしまいました。どちらも’95年6月、上は姫路、下は明石にて。

◇神戸市(西神線)

 こちらも地下部分の構造物被災が大きく、当初は西神側からは板宿まで、その先は市バス臨時系統を利用せよ!という案内だったと思います。その後徐々に復旧するにつれて延伸していますが、被害の大きい駅は通過扱いでした。

Kobecity894 方向幕に「板宿」が無いので(通常折り返す便は無く、設備も無い)紙かアクリルボードに「板宿」を印刷、表示していました。列車は板宿到着後旅客扱いを終了、折り返し設備のある次の新長田まで回送していたと思います。

 ざっと拙い記憶と僅かな写真を基に述べてきましたが、誤り、思い違いなどあるかも知れませんので、お気づきの点は適宜フォローして頂ければ幸いです。

2014年7月18日 (金)

阪急電車2186号

 何やらここのところ、阪急電車ネタが続いていますね。 先日の5136号を見ていて、阪急電車の顔は原形も良いのですが表字幕設置、標識灯移設改造した後の姿も長く見ていたことからこの顔も好きな部類に入ります。私の場合、一応沿線は神戸線でしたので、そちらの車両に馴染みがあります。只、神戸市民とは言え西部方面在住でしたので、普段の足…というわけではなく山陽沿線での姿や東部地区へ市バスを撮影に行ったついでの撮影が多く、他の多くの阪急ファンの皆様からすれば、全くたいしたことの無い写真ばかりになりますが、阪急ネタの際はその点お含み頂きご覧下さい。

5057119  画像は阪神=山陽の直通運転を間近に控えた’98年1月の撮影で六甲駅にてです。この時は六甲に於ける山陽電車撮影がメインでしたが、やはり対向で綺麗に撮れる阪急普通も魅力で5000系は好んで撮影しました。既に表字幕改造やパンタはシングルアームになっておりますが、この5000系は好きな電車でした。

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 それは編成によって中間にT車化された旧2021系が挟まっていたからで、阪神2000系や5000系列同様、特に元先頭車と分かる車は好んで見て撮影していました。この時はこの編成の大阪方の2086号は跨線橋の影の下になっていたのか神戸方の2186号を撮影しているようです。今にして思えば中間の先頭車同士部分も撮影しておくべきだったと少々後悔はしていますが、今となっては仕方ありませんね。

 

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21862122  時は移ってもう一つの2186号。こちらは’04年7月の撮影です。三木市の防災公園辺りが整備されだした頃新しい道を走っていると、遠方に阪急電車らしきモノがいるのが見えて近くまで来るとこのような状態で鎮座していたのです。只、当時は思いっきり周囲は造成中で、何も手がかりになるモノが無く、何故こんなところに阪急電車が…という思いで見ていたモノでした。

 しかし、よく見ますと何か違和感を感じます。そう、乗務員室扉が無かったのでした。先に番号で判断出来たハズですが、当時は顔があったので先頭車と疑いもしなかったのでした。よくよく考えると、中間車化改造されていた車両を乗務員室扉以外は運転室を復元したもので、この番号での先頭車状態はある意味「ウソ電」かも?少し間の抜けた正面の番号の配置もご愛嬌ですがそれでも頑張って仕立てたと思います。(勿論、車内に立ち入ることは出来ませんので、どこまで復元されているか知るよしもありませんが)

 現役時代に撮影していた同じ車両がこういった形で残されていたのは当時、偶然とは言え嬉しく思ったモノです。この電車のここでの用途は消防(防災)訓練に使用する為だと、後年聞いた記憶がありますが今もこの状態であるかどうか、この時以来赴いていないので分かりません。ご存知の方はフォローお願い致します。 

2014年7月15日 (火)

神戸市バス258号、阪急電車1002編成、他

 体調が少しずつ良くなっている…よう…なので、ここのところ会社の帰りに少しだけ乗り物ウォッチングを行うことがあります。大体ウォッチングの場所は決まっているのですが、今回も阪急電車の見えるところにいましたところ、頭上をピカピカの電車が通り過ぎて行きました…。おや?…1000系の1002~1102でした。デビュー仕立てでは無いでしょうか?

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Img_2094  画像上は梅田方面からやって来た三宮行き普通。下は折り返し梅田行き普通で折角なので市バスと絡めました(笑)。

 さて新車を見れたことで少し気をよくして、次は以前話題にしました神戸市バスの009号がまた見れれば良いなぁ…と思い暫し佇んでいますと先ずは010号がこの間と同じスジでやってきました。少し日が陰りましたが一応順光なので撮影。前輪より後ろの塗装状態がひとまず分かる写真が撮れました。カメラの設定をシャッター速度優先にしていなかったので、行先が切れましたが…。

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 その後、次の便だったかでエルガのクーラーユニットが旧いタイプがやってくるのが見えました。「どうせ260号だろう…いやもしかして257号?…あれっ違う258号やん!」クーラーユニットが見えた時点でスタンバイしていましたので、慌てることなく待望の…いやまったくノーマークだった258号を押さえることが出来ました。私には分かりませんがやはり何かの代走なのでしょうか?趣味のお友達にお知らせしたのは言うまでもありません(笑)。

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Img_2098  折り返しは92系統楠丘町2丁目行きでした。上の南行きを撮影後、折り返し便がこれになるのが分かっていたらもっと良い場所で撮影したのに、安心しきってスルーしているとこういうことになります。こっちは慌ててカメラを構えて更に画像を拡大修正したものですので、画質が荒くなっています。

 他にもY30前期型グロリアで純正当時モノの登録と思われるワゴンを見たりで、本日は短時間で中身の濃いウォッチングでした。

 追記:当日午後からざっきー様も出動された模様ですが、残念ながら258号は見掛けることが出来なかった…というご連絡を頂きました。代わりに009号が動いていたのでキャッチ!その様子をご提供頂きました。運用について定かではありませんが、予備車同士ということで休憩前後で車の差し替えがあったかも知れませんね。

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2013年6月21日 (金)

阪急電車(馴染みの顔が消えていく…)

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某映画のタイトルではありませんがここのところ、馴染みのある阪急顔がどんどん無くなっているのと、秋以降の新車投入発表で置き換え必死の系列の撮影もやっておかなくては…と思い周りのお友達の影響もあって少しずつですが久しぶりに阪急電車の撮影もしています。

ただ、神戸在住の身としまして、大阪はやはり少し遠く特に京都線関係はホイホイと簡単に出かけることが出来ません。(若い頃でも大阪は遠かった…と感じていますが)

阪急電車はファンの方も多く、皆さんキッチリ記録に残されていると思いますが、自分なりにも記録を進めていきたいと思います。

今回の画像は3330の新旧。旧は'82年5月千里山、新は本年6月淡路にて。